コラム・多文化共生を解く第4回:NPOから見た13年の社会の変化

2022/05/16

インタビューコラム「多文化共生を解く」第4回

多文化共生を、具体的な実現できる目標に変えていく。

このインタビューコラム「多文化共生を解く」では、私(水嶋)が出会った、素敵だな、おもしろいな、と思う人にどんなことを考え、工夫をしているか、どんな変化が社会に必要と思うかなどお話を伺います。詳しい企画概要は第1回冒頭で。

過去のバックナンバーはこちら。

第1回:監理団体とITツール
第2回:人間関係と地域の居場所
第3回:子育てから広がる世界

第4回のゲストは、NPO法人『多文化共生リソースセンター東海』、その代表理事を務める土井佳彦さんです。友人から「紹介したい人がいる」とチャット上でつないでもらったのが2021年12月。2月には私の住む沖永良部島に来てそのフットワークの軽さに驚きました。そうして4月上旬、今度は私から名古屋に足を伸ばして再会。

2008年の設立から、多文化共生がテーマのNPOとしての活動を13年続ける中で感じてきた、社会と課題の変化を中心に土井さんからお話を伺います。

土井佳彦さん

こんな話に広がりました。

・土井さんは多文化共生の中間支援NPOをはじめて13年
・東海地域で支援団体を支援する存在がなかったことが背景にある
・東日本大震災時の多言語支援でもらった印象深いメールがあった
・長く続けると、出前講座などで教えた子と仕事で再会することがある。
・多文化共生はここ数年で国レベルでの動きがガラリと変わった
・行政主導になり民間にお金が流れてこなくなったので、良し悪しがある。
・現場で気づいたいろんな人と課題を共有しながら解決策を制度化したい
・方便とはいえ「外国人」などとラベリングすることに矛盾を感じる
・それも今は必要な過程、「昔は分けていた」と語られるくらいがちょうどいい。

中間支援は人・物・金・種の4つを提供

※発言者は敬称略

水嶋:土井さんが島に来て、2ヶ月経たず再会するとは思わなかったです(笑)。

土井:じゃ、次回は僕が来月あたりまたえらぶに行かないと…(笑)

水嶋:どういう関係!?

多文化共生リソースセンター東海設立5周年イベント(2013年撮影)

水嶋:まずは、土井さんがどこで何をしているのかという話からお願いします。

土井:愛知・岐阜・三重・静岡で多文化共生をテーマに活動するNPO『多文化共生リソースセンター東海』の代表をしています。広島出身で、岡山の大学を卒業して日本語を教える仕事を3年続けて、名古屋の大学院に行き、そのあとNPOを立ち上げて気づけば13年ですね。

水嶋:NPOの具体的な活動内容は?

土井:法人の名前があらわしているんですけど、「多文化共生」は外国人と日本人とのまちづくり、「リソースセンター」は地域社会の社会資源を集めてみんなで共有して盛り上げていく中間支援団体で、それを「東海」エリアでやっています。

水嶋:私、土井さんと会ってはじめて「中間支援」という言葉を知ったんですが、改めてどういうものか教えてもらっていいですか?

土井:たとえば、外国人で困っている人がいたら、直接日本語を教えたり通訳したりする人たちを「現場団体」っていうんですね。でも、その団体も人やお金が足りなかったりする。そのサポートが中間支援かな。そこで提供するものがリソースで、これは大きく、人・物・金・種の4つに分かれます。「人」はそのままの意味で、「物」は場所や道具、「金」は寄付や助成金を集めることなど。でも物や金を直接出せないこともあるので情報を出す、これが「種」。助成金の情報や、それらを獲得するお手伝いをしたり、イベントのゲストスピーカーが必要なら人を探したり、団体のニーズに合わせて提供します。

コロナ禍で帰国困難になったベトナム人技能実習生(左)と彼の相談を受ける土井さん(右)

水嶋:NPOの立ち上げ時から中間支援を行うことは決まっていたんですか?

土井:はい。別のNPOが多文化共生をテーマとした中間支援団体をつくる話があって、それがベースになっています。僕は名古屋の大学院を出たあと日本語教師として働いていて、ボランティアで教えたりもしていたんだけど、若い人が手伝いに来ても、当然お金にはならないから彼らが就職するときに辞めてしまう。今でいう持続不可能な活動を何とかしたい、やりたい人がやれるだけやれたらいいな、それを誰かが支援をしてくれたらいいなと思ってたけど、そんな人はいないと分かった。また、2007~2008年頃は東海地域に全国200万人前後の外国人住民の3~4割が集中していて、新しい支援団体が次々と誕生する時期でもあったので、それで「思い切って自分たちが支援団体を支援する側に回ってみよう」という話になって設立しました。当時、多文化共生というテーマでの中間支援団体は全国にもなかったですね。

水嶋:多文化共生という言葉は存在したけど、認知はされてなかったでしょうね。

土井:以前は説明するのに苦労しましたね、中間支援という言葉とダブルで。「それで食っていけるの?」とは必ず言われていたし。

水嶋:多文化共生をどう説明してました?

土井:国際交流や外国人支援はみんな分かっているので、楽しく交流したり困っている人を支援したり、それは手段であって、その先に目指す社会の姿が多文化共生なんです。とは説明しますが、当時は「ふーん」という感じでしたね。

“自分を気にかける人がいる”という大切さ

水嶋:13年間の活動で印象深い出来事があれば聞きたいです。

土井:13年もあると山ほどありまして…でも、この活動を続けないといけないと思ったことはひとつあって、11年前の東日本大震災のときですね。国内外の外国人から「震災の情報」がほしいという声がたくさんあり、NPOの人たちで集まって、日本政府や自治体からの情報を11言語に翻訳して発信していたんですよ。でも、情報発信って誰にどれくらい届いたか、アクセス解析しても実際のところは分からない。2ヶ月続けて段々と落ち着いてきたので「活動を停止します」と発表したあと、一通のメールをもらってこう書いてあった。

自分たちは日本に暮らすマイノリティで、普段でも情報が届かなくて、震災がありすごく不安だった中、あなたたちが毎日自分たちの分かる言葉で情報を出してくれたことで本当に助かった。(情報が役立ったかどうかではなく)マイノリティの自分たちのことを考えている日本人がいるんだということが、私達が今後日本社会で生きていける自信につながった。

土井:これを読んで僕は号泣して、一人でもこういう人がいるなら続けた意味があったし、活動を続けないといけないと、日本に住む日本人というマジョリティとしての責任を感じました

水嶋:震災そのものは辛いことですけど、そうした状況で多文化共生の大事さというか、本質が見えてきますよね。よくある言葉ですが、思いやりが本当に大事だなと伝わる話です。

災害多言語支援センターでの活動風景

土井:普段だと気づかない、交流がない人たちも、いざというときには助け合わないといけない。だからこそ普段からお互いを知っておかないといけない。「私達のことを考えてくれてありがとうございます」という言葉が出ないくらい当たり前にしていかないといけない。そんなことに気付かされてきたその後の10年間でした。

水嶋:私も、COMIGRAM(当サイトで提供している多言語ツールです)でどれだけ役に立てているのか不安になることはあるけれど、「誰かが自分のことを気にかけている」という姿勢が見えることで、安心が生まれて、その安心が交流のベースになるのかなと思うと、土井さんの話を聞いて頑張ろうと思いました。

長く続けることで生まれる若手の芽

土井:あとは長くやっているからこそよかったなという話で。インターンに来た高校生や大学生や、出前講座をした学校の生徒が、後に日本語教師になったり、役所で国際関係の部署で働いていたりと、意外なところで再会したり連絡をもらう。年間何十回も学生さんたちに授業をしているけど、どれだけ響いているか分からないし、中には寝ている子ももちろんいる中で。一人や二人に刺さって人生を真剣に考える人がいるというのは、すごくよかったと思う。同時にそれほど影響を与える可能性があるというのは、良い意味でプレッシャーですよね。

水嶋:分かります。私も10年前にはじめたブログを読んでいたという人と、いまだに会ったり連絡をもらったりするんですよ。昨年やったクラウドファンディングの大口支援をしてくれた方もほとんどは読者の方で、なんでも長く続けて感じられる醍醐味がありますよね。

出張講座の様子

土井:国際交流をバカにしていた訳じゃないんだけど、「中学生を海外で10日間遊ばせることに税金を使うなら、困っている人を支援した方がいいんじゃないか」と最初は思っていたんです。でも中学のときにそうした体験があった上で、大学生になってうちにインターンに来たり。これまで運営が大変なときもあったけど、そこでやめていたら起こらなかったこと。また、そんな芽が出たときに栄養を与え花を咲かせることも大事で、他のNPOも10年20年と続けてほしいなと思います。

水嶋:海外での原体験って大事ですよね。自分が経験するから想像力が働く。

土井:それでいうと僕は実は海外に住んだことはなくて、マックス2週間がいいとこで。でも、日本で出会った外国人からいろんな相談を受ける中で、いかに彼らが日本で暮らすのが大変なのかと気付いていった。原体験をどこに持つかは人によってさまざまでいいと思う。

水嶋:確かに。それでいうと私は、27歳でベトナムに行くまで海外にも外国人にも縁もゆかりもなかったので、それからですね。

土井:以前、日本語教室のボランティアに70代の女性がやってきて、「私は外国人が大嫌いだったの」と言うんですね。余計になぜ来たか分からないんですけどと理由を聞くと、「孫娘の結婚相手が外国人で、コミュニケーションを取れたらいいなと思って来た」と。それで僕は、いくつになっても人はつながりを持つきっかけってあるんだと感動したんです。

水嶋:いいですね。自分の暮らしと重なったときが、その人のきっかけになる。

“多文化共生”に湧く社会の期待と課題

水嶋:13年間続ける中で、課題や活動における変化はありますか?

土井:日本全体でいうと、政府は「多文化共生社会をつくります」とはいまだに言ってない訳で、基本的には民間や基礎自治体レベルで進めていくしかない話なんですけど。ただ政府は2018年末に「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」を打ち出して、年間200億円以上もの予算をかけて、新たに海外からの労働者の呼び込みをはじめました。そこから国レベルでの動きがガラリと変わり、結果的に役所や病院での通訳サービスなど社会インフラの整備が進んでいます。これはこれで素晴らしいと思う一方で、行政主導になったので民間にお金が流れてこなくなったなと感じていて、今まで以上に現場団体の活動資金確保などのサポートが必要になっていくと思っています。

水嶋:国が予算を増やせば、回り回って委託事業とかで民間に流れるのかなと思ったんですが、なぜ逆に流れてこなくなるんですか?

土井:流れることもあるんだけど、直接ではない。今までNPOも国から事業を取りに行ってたけど、募集要項の条件が自治体(NPOが対象外)に変わったり、事業費が大きくなったことで営利企業が入り込んできたりしているんですよ。

水嶋:あーなるほど…。

全国の自治体職員を集めての災害時外国人支援研修会(総務省主催)

土井:国は予算が付いたら、まず都道府県や市町村に流していき、そこで止まるパターン。あとは国際交流協会のような外郭的な組織で止まるパターン。それらがなければおこぼれ的に一部のNPOに流れるパターン。そのため、地域の小さなNPOが手を出しづらくなったというのはあります。行政がNPOに出すのは大手など信頼できる規模のところが多いので。

水嶋:以前から行政とNPOが連携していた地域はなかったんですか?

土井:なかったところもあれば、あったところもどうしようかというところですよね。今まで予算が付いても10万円など少額だったので、コピー代くらいにしかならなくてもNPOはそれらをもらって活動を続けるんですが、一千万二千万円になると、人件費も付くし、売上も上がるので、営利企業も入ってくる。そうしたところとは入札など競争で勝てなかったりする。それで地域外のコンサルと組んでお金を取っておしまいということも増えてきた。

水嶋:予算が増えたから競争倍率が上がったということですか?

土井:そうですね。多文化共生は金になるんだ?ということで、いろんなところが動く。

水嶋:確かに大きなところならインパクトのあることはできるかもしれないけど、そもそも地域に拠点がないところがやったところで、来年再来年に予算が付かなくても自分たちだけで回していく、ということにはつながらないですよね。

土井:ならないですよね。お金にならなければやらないのが基本的には営利企業ですから。

水嶋:地域振興の文脈でも全く同じことが言えそうです。

土井:典型的なのが東日本大震災ですよね。東京から大手の法人が東北に行って、国から補助金をもらって、なくなったら撤退で、地域の人はどうするの?知ったこっちゃないよ。って。同じことが多文化共生でも起こってくるというのは正直ありますよね。それが、この数年の大きな変化のひとつです。一方で、4~5年やってきた団体が助成金をうまく活用して規模を大きくしていったりとか、新たに私達もやりたいという人も出てきたり。また、東海地域ならではの特徴としては、外国人コミュニティがNPO法人や一般社団法人をつくったり、自分たちが担い手としてはじめる人も多いんですよ。そのため、民間は民間で、国は国で進めていく中で、中間支援団体としてどこをどうサポートしていくかというところですよね。

現場の課題へのアプローチを国の制度に変える

水嶋:そうして時代も変わっていって、多文化共生リソースセンター東海として、どういう取り組みが今後必要だと思いますか?

土井:うちのミッションとして掲げているのが、「意識づくり」「環境づくり」「仕組みづくり」の3つがあるんですね。意識は、多文化共生に向けて意識を持てるきっかけをつくっていく。でも、意識を持った人が取り組むときのチャンスが開かれていないことも多い。いつも同じメンバーで会議をしていて新しい人が入れないとか、外国人の人がNPOをつくるときに書類が全部日本語で申請が難しいとか。それらを通訳や翻訳を入れてスムーズにしていくのが環境づくり。そして、最大の目的は仕組みづくり。取り組みが一過性の事例で終わらず、そのあと当たり前になるためには、仕組み化していかないといけないんですよね。たとえば名古屋市は地域の消防団に日本国籍を持っていないと入れない。でも、他の地域だと外国籍でも消防団に入って活躍している人はいて、法律で禁止されている訳じゃない。多国籍の消防団が他地域で増えていけば、いずれ名古屋の国籍要件も撤廃されていろんな人が活躍できるようになり、消防団員の担い手不足の解消にもなる。そのために、市役所や市議会議員、市長などに働きかけていかないといけません。

水嶋:そうか、仕組み化する上で政治の領域になるんですね。

土井:ここ10年ぐらい、うちは大きく3つのことに取り組んでいて、日本語教育、災害時の外国人支援、発達障がいを抱える外国人子弟、この支援体制づくりです。日本語教育と災害支援は、全国でいろんな人が取り組んだ結果、ようやく国の制度になったんですよ。昔は民間支援だったものが今は公的支援になった。自分たちが現場で気づいた課題を、いろんな人と共有しながら、最終的には国が制度化して全国で当たり前にしていく。そんな事例を今後もっと増やしていきたいなと思います。

外国人住民向けのAED講習

解決のため“外国人”とラベリングする矛盾

水嶋:ほかに課題はありますか?

土井:多文化共生に限らず、男女共同参画とか、LGBTとか、障がい者支援も、こういうことに関わっている人がみんな共通して思っていることだと思うんですけど、何か特定の人が抱える課題を見つけて改善していこうというところで、どうしても分かりやすく共有するためにラベリングする必要があるんですね。「外国人」でこういう課題があって困ってますとか、「技能実習生」はこういうので大変ですとか。そういうカテゴリーの人が何万人いて、その何割がこうで、という形で予算が付いたりしていくので。でも本当は、わざわざ技能実習生だからとか、外国人だからとか、言わなくても、コミュニケーションが取れないと困る、仕事を失ったら困る、それらは誰にとっても共通項なんですよね。それは、やっていて矛盾を感じる。

水嶋:ほんと、おっしゃる通り…。

土井:でも、そうしないと分かってくれない。そういうやり方でしか変えられないことで、自分たちもそんな状況を助長しているところがあるので。矛盾を抱えながらも今はとりあえずやっている方向ですよね。「でも、これ実は外国人だけじゃないんですよ」とちょっと一言添えながらね。「みんないっしょだよ」と思いながらやるのが必要で。何も、多文化共生に取り組む人だけが外国人のことを考えていたり、ジェンダーに取り組む人だけが女性活躍のことを考えていたりする訳じゃない。いろんな人がいる。ほんとの意味でそれが多様性になっていかないといけないけれど、いきなりポーンとそこにはいかないかなという気もしています。

水嶋:土井さんがえらぶに滞在した初日に私、「外国人という言葉はいずれなくなる」という話をしましたよね。というより、なくならないと本当の意味で課題はなくならないって。結局その言葉は日本人以外というカテゴライズをしていて、最初から日本人と日本人以外を分けている。せめて、国籍を表す●●人という表現になってくれたらなと思うんですけど。

土井:以前、アメリカから来た知り合いに、「Foreignerという言葉を使った覚えがない」「●●人とは呼んでも、ひっくるめて外国人とは呼ばない」と言われたことがありました。日本では、日系ブラジル人や日系アメリカ人という言い方はするけど、彼らが日本に馴染んで、何なら日本国籍を取ったときに、ブラジル系日本人やアメリカ系日本人とは言わないんですよ。もう「日本人」と「外国人」はきっちりと分けられてしまう。日本では、多様な日本人や、外国人の多様性は認知されていないと言われ、確かにと思ったことがありました。

水嶋:確かに確かに。

土井:在日コリアンも五世六世となっていて、日本国籍を持っている人がいても、「コリアン系日本人」とは誰も言わない。日本社会の多様性が途上である所以かなと思いますよね。

水嶋:自分の辞書にないことを飲み込みにくいところはある。

「昔は分けていた」と語られるくらいがちょうどいい

土井:僕は、水嶋さんのプロフィールに「えらぶ二世」とあるのがすごいと思って(笑)。

水嶋:あ、あー。えらぶ(沖永良部島)出身者の子どもって意味でね。あれはえらぶ関係者でよくある言葉なんですよ(笑)。何だったか、誰かが使っているのを見て、私も奄美群島関連のイベントなどでは積極的に名乗るようになりました。

COMIGRAM開発の経緯や想いをトークショー・ガシドで話してきました

土井:そうなんだ。そういう言葉があるのがすごいな。

水嶋:大和の文化とは違いますから、同胞意識の強さの現れですよね。

土井:僕も広島出身だから、愛知ではよそもので、誰でも外に出れば国内でも受け入れてもらう側なんですよね。日本では何世代にも渡って地域を出たことがない土着の人の方がマイノリティだと思うので。外国人が受け入れられやすい地域社会というのは、日本人同士でも共通するところはあるのかなと。ある企業のアンケートでも、外国人雇用が進んでいるところは女性の活躍比率も高いというデータが出ている。国籍とか性別とか限定しない、多様性が広まっていくのがいいなと思う。長い時間がかかるだろうけど、時代的にそれらを立ち上げてきたのは僕らのちょっと先輩くらいで、僕らが乗っかって、また次の世代が続けて、「昔はそういうの分けてたらしいね」と歴史の中で語られるくらいがちょうどいいかなと。そこで、多文化共生や外国人とわざわざ使うことは、今のプロセスでは必要かなと思う。

水嶋:そうですね。多文化共生に限らず、あらゆる課題において今の世代で何もかもすべてが完全に解決することはないし、着実に前進していけばそれでいいなと思えてきました。

土井:僕がえらぶにいたのはたかだか一週間で、お会いした人も少ないけど、分野を越えて活躍する人がいて、すごく楽しんでいて、先が明るいなと感じました。

沖永良部島で、日本人住民とベトナム人住民と撮影。

水嶋:えらぶ、そうですか?

土井:宿の方もおっしゃっていたのが、高校を卒業したらほとんどの人が一度は島を出るから、基本的には出戻りが多いと。そこで「戻りたい島」というのはよいなと思いますね。

水嶋:えらぶを国として見ると、みんな外国人を経験してるってことですね。

土井:すごいね!ほんとそうだ。

水嶋:何せ昔は島=国でしたから。祖母の話では、東端の集落から西端の集落へ嫁に行った人が、地元の人に鎌持って追いかけ回されたらしいですよ(笑)。って笑い話じゃないんですけど、昔は脱藩も重罪だったし、結局頭の中のホームグラウンドは時代とともに広がっていくものなんだろうなと。それはいつか日本すら飛び出す。今は途上なのかもしれません。

土井:海外なんて、たとえば韓国なら下手すれば日帰りでも行けるので、ハード(環境)はできたけど、あとは行くかどうかですよね。きっかけをソフト(気持ち)の面でつくっていかないと。

水嶋:冬ソナが韓流ドラマの火付け役として韓国と日本の文化交流に風穴を空けたように、ほかの国でも起こっていくと思います。その積み重ねできっと、ゆっくりと相互理解は進んでいくのかなと。私も今日、土井さんと話していて、なんだか明るい未来を感じました。

土井:えらぶも、技能実習生は単身で来て単身で帰るので、機会は少ないかもしれないけど、永住されているフィリピン人の人も多いので、二世三世と増えていきそうですね。

歴史の中で語られる社会の変化を

冒頭でも書いた通り、土井さんとは偶然に次ぐ偶然でつながったのですが、話せば話すほど多文化共生の文脈で教えていただく知見も多く、いつも教えてもらうことばかりです。今回は聞き手という立場でありながら、同時に話も学ぶことばかりでした。ありがたい先輩です。

それだけに、「時代的にそれらを立ち上げてきたのは僕らのちょっと先輩くらいで、僕らが乗っかって(中略)歴史の中で語られるくらいがちょうどいい」という言葉は深々と刺さりました。

多文化共生とは社会の変化に関わること。数年十数年で変わるものではなく、世代交代も踏まえながら腰を据えて取り組んでいけばいいのだなと。もちろん、たとえば震災時の支援など、すぐに動くべき場面はいくらでもあるでしょうけど。

今回のお話が、ほかの方のその後に活きれば幸いです。

 

文:水嶋 健
写真提供:土井さん(多文化共生リソースセンター東海・代表理事)

 

***

 

当サイトについては下記をお読みください。

COMIGRAM(コミグラム)はマンガを使った多文化交流・多言語学習用ツールです

交流・学習に使えるツール紹介

交流雑貨COMETI(コメチ)

業種・分野に合わせて17種類のCOMIGRAMを印刷したアパレルと雑貨です。

合同会社オトナキに連絡する

そのほか、何かございましたらお気軽にこちらからお問い合わせください。