GINO-Tは、「Tシャツに印刷するイラストを100種類つくる」という目標を定め、2020年12月16日から2021年2月1日の一ヶ月半にかけてクラウドファンディングを実施。結果、107人の方々から目標金額の250%に迫る1,044,500円の有り難いご支援をいただきました。
ベトナム人実習生の失踪・過労死・自死などを解決する”Tシャツ”開発
そのリターン(支援者へのお返し)のひとつとして、紹介記事の執筆を設定。そちらを選ばれた計4名のご支援者の方について、ご紹介いたします。
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お名前は「山本酔山(すいざん)」さん。クラウドファンディング実施にあわせ、実は私はVietjo(ベトジョー)という日本語ベトナムニュースサイトでプレスリリースを出していました。その記事を読んで共感いただいたことが、支援にいたるきっかけだったそうです。
▲Vietjoのプレスリリース記事「Tシャツ(GINO-T)で技能実習生問題は解決できるか」
山本さん「実は私もベトナムに駐在した経験があります。最初は29年前のサイゴン(ホーチミン市)、最近では5年前のハノイです」
▲サイゴン駐在員時代の山本さん(中央)。
水嶋「29?29年前ですか!それはまたもう…ベトナム在住日本人として私の大々先輩ですね。直近でも5年と前になりますが、今でもベトナムに思いがあるということでしょうか」
山本さん「はい。日本で暮らしていますが、現在もベトナム本国にいる人たちや、来日している留学生や実習生たちと交流をつづけています。それもあり、ほんの気持ちだけですが、『GINO-T』の支援に参加したいと思いました」
水嶋「今回がクラウドファンディングを使ったはじめてのご支援ということで、本当にありがたいし、うれしいです」
山本さん「Vietjoの記事をパッと見た瞬間、プロっぽくない・泥くさい雰囲気だったので、支援する気になりました(笑)」
水嶋「ほ、褒め言葉として受け取りますね!(笑)」
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個人的にも興味津々なことが、29年前のサイゴンのお話。それほど過去にベトナムにいた方は、私が現地にいた8年間の中でも、一人二人出会えたかどうかです(遭遇率はコミュニティ次第でもありますが)。「当時のサイゴンでのカルチャーショックをいまだに引きずっています(笑)」と話す山本さん、どのような出来事があったのでしょうか。
その様子がわかる当時帰国後に書かれた手記をいただきました。一部の抜粋ではありますが、当時の空気感をお伝えするため、文章そのものはほぼ編集せずにご紹介いたします。
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サイゴンは毎日暑い。その暑さに、騒音と臭いが加わる。
バイクの音、人や荷物を満載したシクロのきしむ音、物売りの甲高い声、
売り手と買い手のやりとりの声、ボリュウム全開したラジカセの音楽
ドブの臭い、汚物の臭い、バイクや車の排気ガスの臭い
男たちの汗におんなの化粧や香水が混じった異様な香り
しかし、この騒音と臭いには何となく違和感がない。
少なくとも私の心身は、拒否反応を示さなかった。
町を往く人、歩道を歩く人、カフェで歓談する人、売る人買う人、
商売する人たち、ながれてゆく人たち、遊んでいる子供ら、
彼らのみんなが快活であり、ぎんぎんとしたエネルギッシュさにあふれている。
騒音と臭いこそが、エネルギッシュの象徴なのだ。
ベンタン市場から市民劇場の横のホテル・ドック・ラップへ戻る大通り脇の歩道での出来事である。
本国から営業マンが応援に来てくれた週の日曜日の昼下がり。2人でベンタン市場へブラっとでかけて、ホテルへ戻ろうと歩道を歩いていた。
商店の品物が歩道まで溢れている所を通り過ぎようとしたときである。溢れた品物で通りにくくなっているところへ更に5、6人がたむろしていた。男や女、年寄りに少年もいた。
(たむろしていたというよりも、罠をはっていたのであった。)
ボクがその狭くなった所にさしかかったのと同時に、彼らが一斉に動いてボクの方へ向かってきた。後ろからも来た。つまり囲まれたのである。
(通れない。動けない。ウム-・・・・)
囲まれたというよりは、”おしくらまんじゅう”のような格好になった。
時間にしてほんの2~3秒。おしくらまんじゅうの群れがさっと退いた。
(なんや こいつらは ?)
何の気なしに(というか、咄嗟の第六感であったのか)スエットパンツのポケットに手を入れた。
(! ? …… !)
財布が無くなっていた。
やられた!と周囲を見回した。回りの群衆は皆んな知らん顔しているようでもあり、無関心を装いつつも、標的とされた哀れな「ガイジン」を冷ややかに見つめているようでもあった。顔から血の気が引くとはこういうことか。
とその時、これまた驚きで思わず「おおー!」っと声を発してしまった。
僕の2m前方の歩道にどこからか、あのボクのアズキ色の財布が、ぽーんと放り出されたのであった。
群衆のだれも、もはやそれには飛びつこうとはしなかった。
持ち主の手に戻ったその財布の中の紙幣だけがきれいに消えていた。
家族の写真や名刺などには全く手はつけられていなかった。
プロなみのテクニックと礼儀正しさ?に脱帽した。
只、いつも外出するときは必要以上の額は持たないようにしていたし、その日も財布には1$米紙幣10枚程度だけにして、残りはあちこちのポケットに分散しておいたので最小限の被害で済んだ。彼らにしてみればがっかりだったか。
その心得は、日本の商社マンで現地での先輩(後に日本料理店を開いた)のアドバイスによるもので、それがなかったらと思うとぞっとする。
スリ、これを生業としている人たちにいくらかでも報いられたか。と無理に納得した日であった。
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以上です。
スリ被害は今も相変わらずあり、私も目の前で友人がひったくりに遭った現場に遭遇したことがあります(正確には背後だったので事態を知るより先に悲鳴が聴こえた)。ただ基本的には単独犯か2~3人組としか聞きませんが、もしかすると家族、しかも三世代!?だったのかも、というところに今と当時のサバイブとモラルのバランスの違いに時代を感じます。
クラウドファンディングの実施を決めたとき、自分と同じくベトナムゆかりの方が応援してくれるかもしれないという期待がありました。そこで山本さんのように30年近く前に縁を持った方からの支援をいただいたとき、「時期(時代)を跨いだんだ」と強く感じました。
実習生のコミュニケーションに関わる諸問題は社会問題として捉えているのですが、それが深刻なだけに、本来はなかった交わりが生まれているのだと。これは数少ないよきことだと思います。そんな出会いのはじまりこそがこのクラウドファンディングだったのでしょう。