【支援者インタビュー】ベトナムの魅力をグラレコで/ベトスタグラマー・高田観光さん

2021/07/30

GINO-Tは、「Tシャツに印刷するイラストを100種類つくる」という目標を定め、2020年12月16日から2021年2月1日の一ヶ月半にかけてクラウドファンディングを実施。結果、107人の方々から目標金額の250%に迫る1,044,500円の有り難いご支援をいただきました。

ベトナム人実習生の失踪・過労死・自死などを解決する”Tシャツ”開発

そのリターン(支援者へのお返し)のひとつとして、紹介記事の執筆を設定。そちらを選ばれた計4名のご支援者の方について、ご紹介いたします。

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お名前は「高田観光」さん。私がベトナム移住当初の2012年からはじめたブログ「べとまる」をご存知で、ある日、Twitter上でクラウドファンディング関連のツイートを目にしたことがきっかけでご支援いただいたそうです。

私もそのタイミングで高田さんのアカウントを知ったのですが、拝見すると『べとすたぐらまー』を名乗られ、ベトナムについてグラフィックレコーディング(以下、グラレコ。ここ数年で見られるようになった、イベントなどの議事録をイラストとテキストでまとめる手法)を発信している。これはおもしろい方だぞ!と思い、私も今回の取材を楽しみにしていました。

▲高田さんによるベトナムのグラレコその1

▲高田さんによるベトナムのグラレコその2

ベトナム留学の苦い経験から日系メーカーへ

水嶋「まず気になっているのが、なぜベトナム?なにか縁が??ということなんです」

高田さん「2006年に、サイゴン(ホーチミン市)に留学してたんです。時期は違いますが夫も元留学生で、べとまるを教えてくれたのも彼でした」

水嶋「あぁ!そういうことだったんですね。すごく納得のベトナム属性。なぜベトナム語を学ぼうと思ったんですか?」

高田さん「きっかけはたまたまで、私が入った大学は合格後に学ぶ語学が決まるシステムでした。そのときはベトナムという国がどこにあるかすら知らない状態だったんですが、授業がはじまったら内容がめっちゃおもしろくて。先生がベトナム料理研究家で、一年生は夏祭りで揚げ春巻きの下準備でライスペーパーを巻かされるというのが洗礼でした」

水嶋「確かにそれはおもしろそう(笑)」

そんな学生生活に居心地の良さを感じた高田さんは、ベトナムへの留学を決意。歴史が好きで、また静かな雰囲気のハノイに惹かれたが、あえて真逆のサイゴン(ホーチミン市)へ。

▲ベトナム留学時代その1

水嶋「どうしてです?」

高田さん「私、ベトナムに行く前までは優等生キャラでおとなしく過ごしてきたんです。でも、このままじゃ人生で語れるようなネタがないなと思い、自分の殻を破ろうとあえてサイゴンを選びました」

実をいうと、とても似たような話を、ベトナム留学経験のある友人から聞いたことがある。ひょっとするとベトナムは(もしかしたらとくにサイゴンは)、「殻を破る修業の場」と考える人も意外と多いのかもしれない…。とはいえ、高田さんが留学した時期は2006年と、少なくとも現在は大都会のホーチミン市とまた違う。さまざまなところで苦労したという。

▲ベトナム留学時代その2

水嶋「どんな留学生活でした?」

高田さん「楽しかったですが、それ以上に苦しかったです」

水嶋「おぉっ…どういったところで?」

高田さん「自分には『日本人であること以外に何もない』と打ちのめされました。ベトナム人の人たちに『留学してる』と言っても、『頭おかしいんじゃない』といった感じで良い印象を持ってもらえず。ちょうどその時期に日本への留学から帰ってきた人気者のベトナム人男子が日本人以上にきれいな日本語を話すわで、『自分には何もないやん』と思いました」

水嶋「頭おかしい、と言われる背景が少し分かる気がします。私がベトナムにいたとき、高田さんがいた数年後でも、『なぜ発展している日本からベトナムに来たの?』と聞かれたことがあって。それは地元テレビの撮影だったんだけど、たぶん多くのベトナム人視聴者が疑問に思うってことなんでしょうね。海外で働くベトナム人が多いー、GINO-Tにも関係してきますが、そういう背景があるからこそベトナムに住む日本人が奇異に映ったんでしょう」

高田さん「それに、ベトナム人の中には、準備はグダグダでも本番に強いという人が多かった。起業のハードルが日本に比べても低く、ビジネスとして成功する人も多い。そんな彼らとビジネスの世界で互角に戦いたい、まずは社会人としてスキルを身につけようと、日本で海外展開もしているメーカーに就職しました」

▲シンガポール駐在員時代

原点を振り返ると「ベトナム」と「絵」があった

それから日本で4年間勤務の後、シンガポールの駐在員としてアジアエリアを担当することになった高田さん。クライアントにはベトナム人の方もいて、『ビジネスの世界で互角に戦いたい』という夢も叶った。そうして自信をつけて帰国、本人いわく『勘違い野郎になっていた』。国内で営業をしたいと希望したが思うようにいかず挫折、原点を振り返ることに。

水嶋「そこからの…今?グラレコ??」

▲はじめの頃に描いたグラレコ

高田さん「振り返ったとき、いろいろあったけどやっぱりベトナムが好きだと思いました。そして、コロナ禍もあってオンラインイベントが増え、知り合いがしていたグラレコにすごく感動したんです。昔は私も絵が好きで、メモ魔だった。そこで見様見真似でやりはじめたら、友人たちから『もっとやりー』と言ってもらい、自分が好きなベトナムとグラレコとの掛け算をやっていこう、これからは『べとすたぐらまー』を名乗っちゃえと」

水嶋「いい話だ…。回り回り、苦労を重ねて、自分の原点である、ベトナムと、また絵が好きということに戻ってきて。べとすたぐらまー誕生の背景にはそんな話があったんですね」

そんなべとすたぐらまーとしての高田観光さんの活動とはどんなものか、改めて伺った。

▲ベトナム人コミュニティのシンポジウムにも参加、グラレコに記録している。

高田さん「発信する内容は、ベトナムに関係する、技能実習生とか、伝統芸術の水上人形劇の話とか。やっぱり自分が情熱を持って語りたいテーマだと絵にも熱がこもります。ベトナムが好き、料理が、雑貨が、という人は多いけど、実習生の話になると分からないし無理、という人もいると思います。だけど実際に一人でも仲良くなれば、総じて『ベトナム人は…』という扱いはできなくなる。そこで少しでもベトナムのことを知っていれば話も広がる、そのきっかけをグラレコでつくりたいと思います。ポップにライトに楽しくいこうぜ、と」

水嶋「いいですね、一人でも仲良くなれば…というのはまったく同意見です。『ベトナム人』という個人がいなければ、『日本人』という個人もいない。お互いに、一人でもリアルな友達ができることで変わる。そのきっかけをつくっている高田さんを心から応援します」

最後に…なぜ高田”観光”?

なお、もしかしたらこれを読んでいる人なら気になっているかもしれない、『高田観光』の由来。なぜ『観光』?それはシンガポール駐在員時代、日本の方から出張に来る方を現地を案内しているうちに、いつしか社内で『高田観光』と呼ばれるようになったから、だとか。

なお、高田さん、ベトナム関連の話や文化をグラレコで発信しているほか、19世紀末にグエン朝皇帝に仕えたフランス人高官とベトナム人女性の間に生まれた女性「Marie Vannierさん」についての歴史研究もしており、現在はフランス語の勉強にも励んでいるそうです。ベトナム、グラレコ、歴史研究、これらについてピン!と来た方は、声をかけてもらえれば、とのこと。また、ベトナム関連イベントでグラレコをお願いしたい際、ぜひぜひ高田観光さんまでご連絡を~!

Twitter: https://twitter.com/Takada_kanko
Instagram: https://www.instagram.com/vietstagrammer_takada_kanko/

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