昨年12月の話ですが、我らが沖永良部島の中学校で講話をしてまいりました。
ちょうど地域の小中学校・高校では「人権週間」とのことで、「人権に関わる話をしてほしい」というリクエスト。以前同じ中学校でベトナム生活体験の話をしたので(8年間住んでいました)、白羽の矢を立てていただいたという経緯です。
人権に関わる話…。
ベトナムにおける日本人や、日本に住む日本出身ではない人、「外国人」。確かに人権絡みと言えるしれませんが、私が小・中学で受けてきた人権教育のイメージはとてもとても、「固くてとっつきづらくて説教くさいもの」という印象でした。
ただ、逆に言えば、そうしたイメージを少しでも変えられたらなと思って承諾。表現的にはクイズなどを盛り込んだりもしたのですが、改めて自分自身も「そもそもなぜ人権侵害は起こるのだろう?」と考えたところ、大前提として「そりゃ、マイノリティとマジョリティに別れるからだよね」という仮説に落ち着いた(私のいち意見です)。
そこで、頭ごなしに「人権侵害はダメだ」と言うよりも、なぜ起こるのか、そのへんのちょっとしたメカニズムというか、自分が考えている根本的な原因について話そう。そして、その原因を生み出さないためにどうあるべきか話そう。そんなことを考えていると、ポンと「マイノリティになろう」という言葉が飛び出し、この言葉で講話を締めようと思いながら資料を作っていきました。
そんな中でハッと気づいた。
はじめから沖永良部島民はマイノリティじゃねぇか!と。
調べてみれば、離島に住む人は日本の総人口の0.5%、なんと200人に1人の計算。立派なマイノリティ。それ以前に、沖永良部島を含めた奄美群島の島々は、台風被害や大飢饉などでやむを得ず本土へ集団移住をしなければならなかった時代もあり、行った先では共通語(標準語)とはずいぶん異なる方言から差別の対象になったという。このあたりは、お隣の与論島の、サザンクロスセンター(資料館)に詳しく書かれているので機会があれば行ってみてください。
戦後も、うちの祖父母が神戸へ出稼ぎに行くときも、先に現地に住んでいた姉から「外国人と間違えられて差別されるから方言を話すな」と釘を刺されるといったことがあったそうです。そもそも外国人だったところで何が問題…と言いたいところですが、現代の価値観とは違う上に、じゃあ現代ジャパンはどうなのかというと、まだまだだからこれ書いてるのですが。
まぁ、そんなあれこれを考えていると、自然と言いたいことも固まりました。
今、沖永良部島に生きる中学生たちに「人権」というテーマにおいて自分が話せることは、「人権侵害の前提にマイノリティ(少数派)とマジョリティ(多数派)がある」「みんながどこかでマイノリティの顔を持てば人権侵害は起こらない(はず)」「すでに君たちは沖永良部島出身というマイノリティだから、誇りを持って人生謳歌しようぜ」といった感じの内容になりました。
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そんな半年近く前の話をなぜ今書こうと思ったかというと、つい昨日、その中学校の先生と会いまして。生徒たちが講話を通して、マイノリティについてよく覚えている、自分もそうした授業をするときにスムーズだ、といった話を聞いたからです。
当時は、全校生徒を相手に喋ったので一人ひとりの表情も見づらく、自分の話が響いているか、そもそも聞いているか分からなかった。後日全員の感想文をいただいた中で、いくつか熱量を感じるものもあったけど、そもそもが短いフォーマットなので深いところまでは分からない。
そんな中で、半年近く経っても覚えているというのは、うれしかった。
講話のはじめに、「マイノリティって聞いたことある?」と質問したところ、手を挙げたのは片手で数える程度だったんですよ。まぁ、知ってたけど挙げなかった子もいるだろうけど、それにしても少なかった。だから、すっごいうれしかった。
教育(というほど立派な話ができたかわからんが)は数年、十数年経って、結果が見えるものと聞いたことがあります。なんかメガネ坊主のおじさんがマイノリティがどうとか言ってたなー的な感じで、頭の隅にひっかかってくれたらうれしい。
ふと思い出しましたが、弊社の「オトナキ」という社名には、「今の大人たちが襟を正して手本となる姿を子供たちに見せていかないといけない」という、考えというか、私のエゴが由来なんです。そこにおいては、この講話は大事な一歩だったんじゃないかなーと思います。こうして文章にしてみると、改めて気づくもんですね。やっぱりアウトプットは続けていかないとな…!
改めて、和泊中学校の先生方、生徒の皆さん。この場を借りて御礼申し上げます。ありがとうございました。私自身、これからいろんな経験を重ねることで、話の内容も変化していくでしょう。同校に限らず、ご機会がありましたらお声がけしてやってもらえると幸いです。